火曜、子どもの参観日で小学校へ。イマドキは日曜参観じゃなくて、年に何回もある。働き方も様々の世の中になってきたからかしらん。午前は仕事だったので午後の5時間目だけ参加したが、内容は体育「パスゲーム」であった。

皆さん知ってる?パスゲーム。

ルールはドリブルのないバスケットみたいなかんじ。ドッチボールで使うのと同じボールを手にしたら動かず、パスで同じチームメンバーに渡し、それを繋いでゴール前までいってシュート!というゲーム。面白いのは敵味方一つのボールを掴んだら、ぐいぐい奪い合いはせず、その場にてジャンケンでどっちのかを決めるのだ・・

なかなか我が娘、ジャンケン強いぞ!
しかし、面白いくらいチーム弱っ。・・10点以上の大差をつけられて負けで終了。

娘のチームを観てると、先ずボールを手にしたのに、見方にすぐパスせずにずっと待ってる(笑)。あっという間に相手側チームはフォーメーション組んでパスされる人をガード。

そして何故か、メンバーたちはパスを貰いに隙間を狙って移動せず、一度立った同じ場所でボールを待ち受ける。

ボール持った人は、これまた至近の敵にふさがれている人にボールを渡そうとする。・・そりゃ、相手にすぐボール持っていかれるわな。

ということを繰り返しておった。負けるはずである。

後で、何でボール受け取ろうとチームのみんなはうろうろしないの?と娘に聞いたのだが、どうもイマイチ意味がわからんようであった。う~ん、中に居ると自分がどういう動きをしているのかは客観的に見れないのかもね。
点数付けに一人必ず参戦せずゴール脇に立つので、その時に全体の試合の流れをよく見よ!と娘にアドバイスしてみたが、どうなるかな~

実は最近、何を見ても暗喩にしか思えない私。

どうもこれって、私達大人のことじゃん。ガイドスピリットさん、ええ仕事してますね~

先ず、上手くパスを繋げてないのは確か。

いまのままじゃ、どうにもこうにも先は無いのは分かってる。もう大人二人に一人は癌、あまりの息苦しさに精神を病む人が特に若者に急増、誰もが異様に時間に追いまくられて人と人とがちゃんと話が出来ない状態。

今までと違った形でのコミュニティ(=社会)を自分の手の届く範囲(親兄弟、住んでいる数キロ圏内)で、ゼロから作らなきゃいけない段階にきてるのだ。

なぜなら戦後70年、日本に主権は無かったから。

貧しさからの脱却が、私達の前(親)世代の課題であった。廃墟から、捨て身で働いてきたのだ。お金は手にしたが、引き換えに生存のベースである大地とコミュニティを失おうとしている。文化さえもだ。個人的には、民族主義は時代に逆行していてもう使えないと思う。もう情報はあふれかえっていて、「わたしたち」だけで何とか、は無理だろう。

気がついてしまった私たちはどうやって、いのちをつないでいくのか。

生き残りたければ、もう「先送りは無し」である。

なにもかも手付かずなので、どこから自分が行えばいいのか茫洋とするが、やっぱり「ゴールはどこか」を考えるところからしかないのでは?と今思っている。

自分はどうなりたいのか、今からじっくりと考えて生きたい。ゲームには、本人の要望は関係なく、もう皆が参加しているのだし。