昨日の記事の続きでもあります。前の前のブログ記事で、丹後に急速に展開しつつある(と私は思っている)米軍基地の話を書いたが、FBに連動して投稿したのを見てブログ引用して拡散した方がおられ、ビックリ。

知らない方だったので、ちょっとビックリしました~ とコメントしたら、最近は断りいれると、うるさがられる風潮があるので、公開設定だったし連絡しませんでしたという返事。いやいや、ソコ問題にしてるわけじゃないんですわ。と説明したかったんだけど伝わったかどうか(あえて書くが、引用を非難してるわけじゃないからね)。

私は自分が作家(表現者)であると認識して物心ついたときから、公私って基本無いよな・・という人生を送っているので、ウェブに記述している事は全て拡散OK。誤解もあるだろうが、基本面倒な事も含めて全部引き受ける覚悟で書いている。

私は書くのは職業ではないが、ペンで食べている人は皆そうだとおもう。自分の名をかけて書く覚悟が無い文章など、読んでも価値が無い。最近はニュース記事も骨があるものは、やっと記者名入った形で公開されるようになってきましたね。

SNSのFacebookは便利で私も毎日情報収集に活用しているが、誰もがそれこそマイクを持って喋れる時代になったからこそ、書いている人の品位が丸裸になるツールであると思う。

人の発信をシェア拡散させていただくときは、私は一言でも自分のコメント入れてからシェアするようにしている。時間が無くて内容は見れないが後で見返したい記事の備忘録としてもタイムラインを使う。が、相手にはシェアわかるので基本コメント欄に「シェアさせていただきました~」くらいは書く。

受け取る側(例えばFBのタイムライン見てくれている友人)の立場にたって考えてみたら、ただ引用集のタイムラインみても意味が分からない。

具体的に言えば、一緒に暮らす家族に是非読んで欲しい、自分が感動した本があるとする。

ポンと相手の机の上に置いておいて(心の中で、読んでくれ~~と念じつつ) 置いたとしても、果たして相手は読んでくれるだろうか?

コメント無しでシェアって、割とそれと同じような行動してるんじゃないかって思うんですわ。何を意図してるか分からん。

「こんなにこんなでこんなのがあるの!」とやっぱり貴方が語るから、相手にも何がしかが伝わって行くのだ。

これがコミュニケーションの基本だと思うんだけど。
話している時間無いなら、せめて本の上にメモくらいはつけようよ。

・・てなことをずっと考えていたのでした。分かってくれない、と嘆く前に、先ずちゃんと語ってさえいないから話スタートしてないのかもしれないヨ。先ずは、相手が受け取れるようにパスしようよ。

受け渡すのは、気持ちなのだ。そこが抜けて外側ばっかし問題にしてきたから、イロイロややこしい世の中になってるんだって思う。生きていくのは面倒くさいからこそ、面白いのだ。