久々の投稿。最近本来の仕事・・・(一応服飾作家なので)そちらの作業していたら、どうも文章書く気分にならず。久々に制作の日々。別にわざわざ文章など書かず世の中と断絶していても自己満足な世界に安住できるのであるが、3.11でそれはちゃうやろということを思い知らされたので、まぁ役に立っているかは不明だが気がついたものを文章にしたり。

今日はとりとめもないが、珍しく京都市地元ネタについて書いてみたい。

昨日夜、娘の小学校から「子どもの安全についての会」があるので良かったら参加してください。というチラシが来たので行ってみた。勿論子連れである。予想通り、役つきでなく傍聴的に参加したのは私だけ(笑)。ちょっと物見遊山モードなきにしもあらずです。

いろいろ思うところあったのであるが、それ書く前に前提として、京都独特の地域のありかたについて(細部間違ってるかもしれないが)説明してみたい。

京都市、特に上京・中京など中心部(北は北大路?東は鴨川、南は旧五条である松原通・西は千本通に囲まれた洛中と呼ばれるエリア・詳細三世代以上そこに住む京都人に聞いてくだされ)は特に保守的・よそもん受け付けないと言われる。
住んでみてビックリしたが、この洛中、凄く自治意識が高い。都会なのに、ムラ的と言ってもいいくらい。なにせ何百年同じところに住む家珍しくないのだ。みい~~んな知り合い。そして、地域の保全に皆手分けして日々実際的な活動をしている。

その基盤を成すのが、「学区」。

地域の人が集まるところに行くと、最初に聞かれるのが「何学区にお住まい?」である。

あ、住所の町名答えても同じ学区じゃないとわかりません。洛中同じ町名のところ何箇所かあるらしいし(笑)。碁盤の目の太い通り名を言えば市内住人は大体の場所が分かるのだが、どうも京都人は学区でエリアを把握しているらしい(正確には元学区なのだが、皆学区っていってます)。

この学区は今を遡るところ約150年前に天皇サンが東京に異動された後、市中の町衆が盛り下がった京都を何とか立て直すべく智恵を絞って立ち上げた組織区分らしい。これからは教育、ということで私財を集めての日本初の小学校設立。この小学校は単に小学生の教育だけじゃなく、地域の自治組織のセンターのような役割を果たしてきたらしい。

今だ消防・警察や補導関係は学区区分単位での活動らしいが(消防設備小学校に置いてあるし)、超地元の方々は元々「行政に何かやってもらう」という発想ではない。自分達のエリアは自分たちで手分けして保全する、その意識が滅茶苦茶高い。

昨日の寄り合い(って感じだった)は、とにかく通り抜け車両の多い学校エリア周辺の道を20キロ制限に出来ないかと言い合う面々。京都市中、玄関ガラッと開ければすぐ通りである、飛び出したらマジ車にぶつかる危険性アリ。実際事故も多い。警察もなかなか動かないし先に掲示しちゃうか!とか相談してました。●●さん何通担当ね、とか言ってたよ・・

徘徊と称して子どもの通学時間、なにかと見守りに協力してくれる地域のお年寄りたちの面々、本当に有難いかぎりである。皆本当にこどものことが好き。日々掃除とか見回りとかに手分けして尽力しているのだ、ただ突然来て場所だけ利用したいとかいう人は警戒されます。そりゃ、そうだろうって思う。

何だか知らないが、偶然北西角の西陣エリア住人の私。シングル向きマンションに大家の許可とって二人で住んでるので、町内会には入ってない(マンションが町会入ってないから入れない)。だから京都市在住といえば、の町内会主催の運動会(メインイベントです)とか、こどもには欠かせない行事・地蔵盆とかには参加していないのだ。

町内会をまとめる形で、学区単位の運動会?夏祭り?とか正月行事(先日あったが、予定バッティングで行きそびれた)があってそれは小学校で開催。こちらは小学校経由のお知らせでチラシをいただく。ということで、我ながら妙なポジション。

昨日の寄り合いでは、育友会(PTAのことです)の活動が及び腰なのをなんとかしたほうがいいんじゃないの?という指摘が地域の方から出たが、確かに学校に預けてしまって後はおしまい、っていうのは問題あるな。自分自身親が転勤族で地域社会とどういう風に関わるか(というか役割を担うか)の見本が無いまま親になっちゃったというパターンも多く、多くの親が地域活動に及び腰のような気がする。

子ども居ないと、本当に地元の人の寄り合いに参加する機会自体がなかなか捕まえにくいよね・・自治をになってきた超地元の人と、現役中年世代を上手くミックスさせる場みたいなものがあれば面白くなるのにな~ とぼんやり考えたりしたのでした。