一昨日の記事の続きです。ゴメン、昨日書きかけでUPできませんでした。土曜のかぜのねで行われた「高江に行って、お帰りなさい」の報告会の話。

実際に京都から3名の沖縄現地に行かれた方が、何を見てきたか自分が感じた事を含めで報告していただいた会。いろいろ都合により随時3人一緒に行動という訳でもなかったみたいですね。

行かれた時期は丁度先月12月後半、沖縄の22日「北部訓練場返還記念式典」が行われる前後。
翁長知事県議会議長が欠席ということでニュースにもなっていたが、以前から地道に現地の役所の近辺では地元住民の「式典には参加しないで下さい」運動が展開されていた模様。その写真などいろいろスライドで拝見。実際のところ表向き返還といっても、基地負担軽減ではない。場所を移動して軍事訓練はさらに強化。という展開をしているのを沖縄の皆さんはよくよく知っているのだ。

22日当日は屋内運動場でオスプレイ抗議集会が大々的に開かれたそうで、知事もそちらに出席したようだ。京都からの面々もそちらがどんなことになっているか見に行く展開に。場内コミコミで内野側には入れなかったらしいが、知事のウチナー口(沖縄弁)に沸き立つ大多数の人を見て、オスプレイ反対は外から来た人が騒いでいるだけ、というのはちゃうやろ。と思ったそうです。

運動場外で新聞社が待ち構えていて、その場で号外刷っていたらしい(驚)。写真は持ってかえってこられた数冊の新聞からである。会の最後に、頑張ろう!と拳を振り上げるのではなく、参加者が皆輪になって両手を上げたそうだ。よく考えたら泣ける話ではないか。ああ、これが沖縄のあり方なのだ・・

IMG_5308

沖縄に行くと、毎日のように沖縄タイムス・琉球新報では基地に関する記事がトップを飾っている。

偏向報道と言えるのか?実際、困った事が毎日繰り返されているのだから、地元としてはそうなるでしょう。オスプレイ、飛んでくるかなり前から凄い地響き、上空飛んでいる時は爆音の最中にさらされるそう・・会話など勿論無理。実際に体験した人から、最初地震かと思ったという話聞いてとんでもないと私は思いましたわ。これ毎日頭上何回も飛ばれたら、とても其処には住めんな・・突然説明もなく訓練場作られて、実質土地を追われた人が何人も居るのだ。

これが、沖縄の日常である。

もういいかげん、基地はいいです。と沖縄の人達が思うのは当然であろう。負担を押し付けて居るのは本土の私達・・

報道一つとっても、沖縄と本土の温度差がありすぎて本当にビックリする、とまず現地に行かれたの報告。
オスプレイ墜落は海だったが、集落からは凄い至近距離。でも、全然日本のマスメディアでは報道には載らないのだ。

ちなみに沖縄経済が基地が無いとやっていけない、という話も昔の話のようです。今だ信じている人沢山(もしかして現地でも)いるみたいだけど、実際に米軍基地返還された場所は100%経済的に成功しているそうです。これはニューズオプエド・沖縄特集からの受け売りだが、さすが専門家が調べただけあって説得力ある番組で面白い。話題からちょっとそれるが引用。こちらも時間ある時に皆に見て欲しい。

そういうことを踏まえたうえで、どうすればいいんでしょうね?

沖縄、実際基地が無くなったら凄い経済発展すると思う。なにせアジアのへその位置。戦争で疲弊したアルバニアがネイチャー観光産業で再興つつあるように、豊かな自然を上手く活用すれば多分あっという間であろう。

どこから考えればいいのか、であるが会の最後に一人の人が言われていた言葉が印象的であった。

高江・沖縄の基地問題といえば、下手をすればずっと酷い目にあっている気の毒な人達、と本土の我々は考え勝ちだがそれは違うと思う。
まだ本土では隠されているが、目に見える形で沖縄では戦争がずっと続いているのだ。4人に1人が死んだ大虐殺の沖縄戦の時間の継続の中で沖縄の人は生きている。生々しい記憶なのだ。

杖をついて歩くのもやっとのおじい、おばあが何故、フェンスの前にやってきて座り込むのかといえば、このまま何の抵抗もせずにこの状態を次の世代に引き継ぐわけにはいかないという決死の覚悟からなのだ。一人の座り込みが何になるといわれるが、それで一秒でも建設が遅くなればそれでいいとやっているのだ。

現地で大変お世話になった人に、おばあはひめゆりだった、いまだにあの記念碑の建っている場所にはいけないのだ、それなのに運動を手伝いに来たというスタンスで来られると正直虫唾が走ると言われれば、どれ程の思いの中で生きているのかは想像できるであろう。

私たちはなにはともあれ、沖縄に行ったほうがいいと思う。格安航空券を使えば往復一万円くらいで行ける。レンタカーも一日2,500円くらい。数時間でいけるし近い。

話を聞くのも大事だが、現地に行ってみたほうがいい。

我々は、沖縄に学びに行くのだ。