久々の投稿。

来月の町屋シェアオフィスでのミセノマ企画・展覧会準備もあるが、ちょっといろいろ考えることも多く如何書こうかなと思っている内に数日。といった感じである。

チョッと前になるが、小学校の参観日に出かけて見たら、授業が道徳であった。

授業は地道に集まって毎日勉強会をしているモグラ達を襲った悪者イタチを、ずっと様子をみていたフクロウさんが勇気を振り絞って助けるというもの。フクロウさんの気持ちはどんなのかな?というのを子どもたちに発言させるというものであった。

まあ間違いではないけど、助けが来ないケースが現実社会にはあまりにも多いよな。と余計なことを考える私・・見ていて思ったんだけど、道徳って如何伝えるかって凄い難しい。

その後の懇談会で、この先部落問題とかも小学校の授業で行うらしいという話を聞く。流石に我々世代では言う人も無いが、昔は住居地名を気にする風潮があったらしい・・

話は、目が見えなかったり耳が聞こえない人に街で出会った時に、子どもにどのようにお話していますか?というテーマになった。ここら辺は近くにライトハウスとかあるし、比較的出会う可能性高いエリアではある。

円座になった懇談会参加者が一人ひとり順に発言するのだが、驚いたのが「説明に困るから急いで見ないようにして立ち去る」と発言したお母さんが居られた事。えええ~!子どもが、凄い疑問に思うよね。

多分、何も考えてないんだろうって思うけど、何故普通(私的には)に目が見えないから歩く手助けのために杖使っているんだよ、とか説明して教えないんだろうか。

いろんな人が世の中に居て、手助けが必要な人には手助けをして助け合っていくものなのだよ、という事を子どもに教えるのは、学校ではなかなか難しい。教科書的に教えて頭でわかっていても、親とかがやっているところを見てないと中々イザという時に出来ない。私が実際にそうだから、言えるのです・・

所謂社会的に全然ダメなところもあったが、そういう点では娘の父親はパッと街中で困った人が居た時にすぐ手助けが出来る人であった。これって別にお金になることではないが、人として凄い大事な事だって思うんですよ。

なんか、「明らかに目の前にある問題とかを見ない様にする姿勢」これこそが、今日本社会が停滞している根本的原因ではないか?

と思ったのでした。

中年の我々こそが、日々に追われていても「今起こっている事は何か」「そこに含まれる問題点は何か」を炙り出して評価することからしか、始まらない。

ここ10年で脱原発社会に向けて大きく舵を切ったドイツの話を聞くと、根性の入り方が全然違うのを感じますよ。

先ず、福島原発が爆発して今はどういう状況なのか。それもちゃんと評価していかないといけないと思ってます。丁度、明日東京から岡山に移住された三田茂医師が来京でお話をされるとか。時間作って聞きにいくつもり。お時間作れる方、貴重な機会なので是非よかったら御一緒下さい。

【被爆二世の健康実態調査報告と原発事故被災者の健康を考える学習講演会】

福島の被曝、そして広島・長崎の被爆の重ね合わさるもの
三田 茂医師のお話し &三田医師 × 守田敏也さん(フリーライター)のトーク

11月27日(日)午後1時30分~4時30分
ラボール京都 4階第8会議室 (中京区四条通御前西北側)
資料代 500円

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