昨日、バタバタと映画「沖縄スパイ戦史」見て来ました。

三上智恵監督の前作、見逃していたので。「標的の村」で知ったドキュメンタリー作家であるが、凄い映画を撮る方である。あのジブリの高畑監督が、病身をおして「あなたの作品のようなものが世の中を変えるのだ、作り続けなさい」というメッセージを贈ったのも分かる。今回見逃せん映画に違いないという予感は的中であった。

作品の解説は公式サイトにあるのでそちらを見ていただきたいが、実に1/4の沖縄県民が死亡したといわれる73年前の戦争の生の部分に切り込んだ映画である。

そこで起こった事は、何だったのか?

ドイツでは戦後、徹底してアウシュビッツはじめ戦争にからむ様々な物事を糾明したが、日本ではまったく検証されなかった。我々日本人は「戦争のほんとうのところ」を考えるところから逃げたのだ。

しかし二人のドキュメンタリー作家が、生き証人達が見たものを抱えたまま葬られてしまうのに待ったをかけた。

凄い、よくぞ、聞き出したな・・と思う。

ここ数年、第二次世界大戦で何があったのか、日本がなにをやらかしたのか、実際のところを自分はホンマ知らんな。。と、気付かされることが多い。楽しいことではないが、今後生き残る為に知っておかねばならんことの一つだと思う。特に親であればなおさら。

さて、映画そのものは実に淡々と描かれる。

途中、アメリカの資料館から引っ張ってきた生々しい戦争現場映像(首吹っ飛んでたりとか。。)や写真が少し挿入されるが、本当に恐ろしいのはそこではない。

戦争の狂気、とは何か?

実に戦時下において、なぶり殺しにされる「非戦闘民」を告発したのは、市井の市民であった。。

自分が殺されない為に、知人友人でさえ「殺戮リスト」に載せてしまう。疑心暗鬼が周辺を支配する社会。その構図は、実は仕組まれたものであった。自然発生ではなく、「意図的に」作るのだ。そこらへんの流れを、くまさず映画では炙り出していく。

まったくもって悪夢であるが、今現在、同じ構図が再現しないとも限らない。映画では、しっかりと「今我々が居る位置」も冷静に描かれる。

実に考えさせられる映画。必見!(京都シネマは8/31まで)。

*マガジン9の三上監督の手記も併せて拝読を→第82回:いよいよ公開!「沖縄スパイ戦史」~沖縄各地で先行上映会~(三上智恵)