「ものがたり」を巡る話(前半)

京都イベント情報・訪問記

三連休、皆さんどうでしたか?
私は色んなキーワード錯綜・・・ちょっと流石にてんこ盛り、の後半を過ごす事に。上手くまとめられるか不安であるが、忘れないうちに報告含めで記述。

日曜は、「ひと・健康・未来研究財団」さんの「『物語』はどう作られるのか」というテーマのシンポジウムに行って来ました。

上七軒歌舞練場に生まれて初めて入ったよ。。ここでやるっていう演出も凄い。今何かと話題?の京大総長の山極氏の企画で、ナチスドイツ研究で知られる歴史学者の藤原辰史氏、作家のいしいしんじ氏、漫画家の竹宮恵子氏をよんで「物語」について掘り下げるというイベントであった。

導入のゴリラ研究の権威・山極氏の話では霊長類の中で、人間だけが「共食」をするという。所謂社会というものを構成する原点に、食べものを分配して一緒に食べるという行動がある。そこから計画的な生産・貯蔵というところに発展、それって人間だけの行動らしい。その後、宗教、政治というものが生まれてきて現在社会に至る。という話。壮大だ。

次に藤原氏のナチスがいかに「物語」を利用したか、という話に。
ナチス台頭の根本に、第一次世界大戦での立ち上がれないほどのショックがあった。農民達に向けてのプロパガンダとして「古代神話」が利用された・・裏切り者としてのユダヤを象徴する紋章が描かれた、インパクトあるポスターなどを散見。演説が天才的にうまかったゲッペルスのことなど。

とにかく当時の広報手段というものを駆使していたね、ナチス。。考えず酔いしれたい人間の心理を絶妙に突いて居たのが、あれほどまでに支持された理由かもしれない。

いしいしんじ氏の話は、完全に「いしいワールド」であった。。物語がうまれてくる現場に立ちあってひたすら記述しているだけで、自分が作っているっていうと、どうも違う感じがする。・・というコメントは、創作をしたことがある人からすれば、「そうそう、そうなのよね」っていう感じ。

彼が言う。作家はこどものように(世界に対して)「開かれている」んですよ、創作をしている時には。現実の生活に支障をきたすので、そのまま大人にはなれない訳ですが。創作モードに一定したペースで入り、足元から「人類共通の無意識層?みたいなもん」がぶわっと盛り上がってくるのをひたすら待つのです。そして掬い取れる時にすくったものが作品になる・・

という話が、確かにそうやな~~ と思うのでした(分かる人にだけ分かる話)。

そして最後の竹宮恵子氏は、今大学で「創作」を教えている現場の話から。
漫画表現はやりつくされているのでは?という問いには、まだまだ新しい地平を開くことが出来る、という。具体的な事例の話が面白い。

絵を中心にマンガは作られるように思うが、実は全体の構成の大枠を創作して(ネームを考えて)から、描写作業にうつると言う。へぇ~ シュチュエーションが先じゃないんだ、と思ったが、そうしないと「物語りが終わらない」そうだ。

「ものがたり」というのは「他人に語らせよ」。そのことによってはじめて、真実味をもたせることが出来る。その中で自分の心情や思想を語れば、読者に伝わるものになる。そこを理解してるかどうかが、プロとアマの違いである。

・・といった話など(実はもっと沢山)。

そのあとの四者の対談も面白かった。

歴史も記述者が創作している「ものがたり」の側面があるのを否定出来ない。過去の記憶と言うもの自体が、そういうものかもしれない。あらゆることが「ものがたり」を紡ぐ事によって、それが現実化する側面もあるのでは?

という、様々な示唆に富んだイベントであった。。全部受け取れたかどうか、あんまし自信ないな。いろんな意味で山盛りでしたわ。

・・今、自分がどう「物語る」のかによって、どういう未来を引き寄せるのだろうか・・!!

とふと思ったのでした。皆さんはどう考えますか?

 

コメント