日曜で終わっちゃう~~と慌てて見に行って来ました、山田正亮。ちょっと稀に見るクオリティの展覧会でした。今京都国立近代美術館でやってます。
私、展覧会はできるだけ掲示の解説見ないようにして鑑賞するようにしてます。学芸員の人には申し訳ないですが。カテゴライズしながら見ても、意味無いし。芸術って何だってそうだって思うのですが。
山田正亮、「せいりょう」じゃなくて「まさあき」なのね。私一応芸大では油画専攻、しかも抽象描いてたから一度はどこかの美術館が所蔵してたらコレクションとかで見たりしてるはずですが、名前全然認知してなかったな~ 1960年代、70年代抽象といえば日本だったら「具体」とか、世界的にはアクションペインティングとかの時代。そういうムーブメントとは敢えて一線を画してしたのかも。コツコツ自分の仕事に邁進していた作家のようです。
今回の展示は初の大回顧展。実は、ずっと前からやっているのは知っていたのです。京都の前に東京の近美で展示されていたらしいのですが、最近の仕事制作、someoriさんコラボのお客さん経由で。
予備知識基本皆無で、見に行って驚いた。これは、凄い仕事やわ。
展覧会は年代を追って展示、ごくごく初期(20歳代か)の制作ノートからの抜粋の記述にドキリとする。
「書き続けたまえ、絵画との契約である。」
絵描きが世界から受け取った啓示は、膨大な量の仕事という形で実を結ぶ。
20歳代から約60年間、5000点あまりを描き続けたとは。単純に割っても一年で80点か・・小品も全部カウントされているとは思いますが、月に6~7点。週に2点は仕上げてたってことか。自分も描いていたから、これ凄いハイペースだってことが分かります。水彩と違って油は乾き待ちの時間があるからね。
特別に制作ノートも公開されてましたが、凄い精緻な仕事ぶり。正しく「ワーク」としか呼び様が無い。
抽象画って偶発性の中で形にしているように思う人多いかもしれませんが、いやいや、そんなに甘いもんじゃないですわ。良くも悪くも油彩はマチエール(絵の具の物理的な厚み)があるし。うっかりした筆のタッチ一つで一瞬で全部が台無しになることもある。恐ろしい世界。
60年代の紙に描かれたストライプのシリーズなど、ちょっと珍しく盗んででも所有したくなるような作品。素晴らしい絵画と思う事は良くあっても、欲しくなる色気がある絵に出合うことはあまり無いのでハッとしましたね。
昔、師匠が絵画とは「現実」と「非現実」(もしくは虚と実といってもいいか)の接点の薄~い膜を引き上げて掲げたようなものだ。
といってましたが、久々にそれを思い出しました。
まとまってみるからこそ、見えてくる巨大な仕事もある。
見に行って、ああ、なんだかんだ周りの評価とか考えることは無い、ただ自分の仕事をすればいいのだ。
ということを再確認しました。明日までですが、オススメ。
京都国立近代美術館
2017年3月1日(水)~4月9日(日)
午前9時30分~午後5時
(入館は午後4時30分まで)
ただし、4月1日(土)、7日(金)、8日(土)は午前9時30分~午後8時(入館は午後7時30分まで)
https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2016/418.html
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