最近、どうにも文章化が難しい状態の中に居る。

あっという間にあの震災から6年。
2011年に価値観が全く変わった人は多かったし、勿論私もその一人と言える。が、あまりにも大きく変わりすぎたので、それについての周囲への説明が大変難しい。

海外に住んだことが無いので間違っているかもしれないが、どうも日本社会というのは「皆と一緒」を是とする社会の様で、遠まわしな圧迫感を時々感じたりもする。異質を自認する作家業の私でさえ、こうである。普通を目指す人にとっては凄い負担であるとは思う。

前提が全く違っている物事を、どこから説明したらいいのやら・・と思い続けた6年間ともいえる。簡単に言えば、中に居ながら「急速に沈み行く日本」をハッキリと認識してしまったということか。

2011.3.11は、パンドラの箱がパカッと開いた瞬間だったのだ。

うっかり気がついちゃった(笑)。

実は、前々からあった問題だったのだ。それが、明らかになっただけだ。試しにいろんなところに積極的に出かけると、皆一様に今のままではいけないと言う事には気がついている。が、パカッと開いたパンドラの箱の中身を精査しようとしないのが、公的な日本。見ないフリをしたいのだ。

例えていえば、どの発電方法よりも実は高コストであった原子力発電。とか、

「科学的データ」では放射能の被曝被害はどうにも証明出来無いので、ヒロシマの原爆投下以来、公的には「放射能の被害」は徹底的に社会的に隠蔽され、なかったとされてきたという事実。とか、

日本は薬消費大国で、農薬・添加物含めもの凄くその部分にお金を使っていて、巨大な産業が組織化されていてそこに依存している。とか

・・・数え上げればきりがないが、このまま続けていきようもない有り様がどっと明るみに出たにもかかわらず、現実を見ようとしない

正しく評価できないから、有効な手立てを打つ事が出来ない

結局、何も進展せず、物事は悪化していくまま(涙)。

何が難しいかといえば、「習慣」を変える事が一番難しい。ということであろう。
簡単で便利な生活の裏側に潜むものを理解できたのなら、先ず自分自身がどのように何を利用し、利用しないかを選び取っていかないと、間に合わないかもしれない。

今現在ハッキリ言えることは、ヨーロッパはもう、循環型社会の構築に向けて大きく舵を切っている。
オーガニックは一部のこだわりの人の世界、とか高いし、とか言っているようでは、完全に地球規模の世の中の流れから取り残されるのは間違いない。

2011.3.11以後に、自分自身何が変わったかといえば・・

ティッシュ・ラップを殆ど使わなくなった(古布・蓋で代用)
アミノ酸(添加物)が入った物を食べなくなった
ご飯だけは何は無くても炊いておくようになった
不要物はリサイクルへ
移動は基本自転車
出来るだけ人の集まりに顔を出し、直接会って話をしたり買い物をする

というようになったような気がする。いろんな意味で、「便利」とされているものの「不便さ」に気がついたというか。

なんだか文章を上手くまとめられないが、中年・老年がこういう点での知識をつけて生活を即座に転換しないと先が無いような気がしている。