前回の記述の続きである。まぁ、結局のところは足元から見る地域社会、言い換えれば政治の話というか。

ブログ読んでくれた友人が、今は「大事にしたいことや関心事など、精神的なつながりを中心にコミュニティを形成したいと思っている人」が多くなってきたのでは、というコメントをくれたが、それはそうやな~と思う。

良くも悪くもインターネットがそれを可能にしたんだな。

本当に地続きのお隣さんと没交渉でも、生きていける。
今や「選択」の時代。自分が気に入ったモノとコトだけに囲まれて生きていくこと、が可能だ。

今まで周囲と価値観が合わず孤独感に苛まれていた人も、似た人と出会いやすい時代になって、それはそれで素晴らしいことだと思う。

それぞれがセクト化して、交わらない。交われない。

それが「今」では無いだろうか。。

ブロックチェーンの技術の登場によって、この先国境というものも遠からず実質消滅しそうな勢いだし、「血縁」や「地域(近隣に住んでいる)」という従来の面倒くささ満載のカテゴライズは、消滅はしないもののメインの座から後退していくのかもしれない。

そうなった時いったい世の中は、どの様になっていくのだろうか。

ここでチョイ気になるのは、この「同じ思想や嗜好でセクト化した集団」はインターネットを使ったネットワークを前提にしている、ということである。

要するに、電気。これ使うこと前提ですよね。。

いろんな再生エネルギーもあるじゃないか、と言われそうだが、今のところドップリ石油依存よ?今、電気シャットダウンされて一ヶ月も放置されたら、皆宙ぶらりんになると思う。

今の、誰もが「当たり障りの無いところで、都合よく繋がっておきたい」という感じ?

これが、今の政治の無責任な有り様のベースにあるような感じがしてならない。分かりやすく表現させられている、というか。。

だからどうすりゃいいんだ、っていうところを、今うだうだと考えている。