久々の記述。近況はFBに時々書いていたのだが、なかなかキーボードに向かう時間が取れず。コロナ後の学校再開を機に子どもが不登校に。まぁ、最初の最初(1〜2年)から嫌がってたから、5年生になり一人で家に居られるしOKを出してみた次第である。

残念ながら今現在、所謂勉強ができるタイプではない。ので、しっかり学習習慣もつけるようにしないと、という段階。環境づくりにバタバタしていて大体はペースが出来てきたものの、まだまだ模索は続きそうである。

コロナ禍ではっきりしたのは、もう今の日本の社会構造を前提にした有り様は先がない。ということかもしれない。
前から薄々と誰もが気がついていたが、ITその他、後進国ぶりが見事に露呈した。が、肝心の中年世代がその問題の意味が分かっていないというのが問題だと私は思っている。

世界の仕事の仕方のスタンダードは、コロナをきっかけにリモートワークになったと思う。いちいちメールなんて回りくどくて、やってられない。チャットやビデオ会議でその場で決断、完結。プロジェクトの進め方、これがデフォルトになった。徒歩移動と車ぐらい、スピードが違う。早けりゃ良いってわけでも無いといわれそうだが、前提が違う世界に取り残されつつあるのを自覚したほうがいい。

そして。将来に向けての子どもへの投資をしない日本は大分やばいと思う。

ただ焦っても仕方がないので、目の前の自分のこどもにどういう環境を用意してあげられるかである。

我が子のように先天的な気質もあり、学校での一斉授業では取りこぼしが多いタイプの場合、違うツールを用意してあげないといけない。今の先生が前にたち、板書をうつすというやりかたは、音声の意味聞き取りが苦手なタイプ(APD傾向がある子)、画像の一時記憶が難しいタイプ(ディスクレシア傾向がある子)には圧倒的に不利。

別に頭が悪いというわけではない。入力方法が、本人に合ってない。(勿論極端な弱点であれば、基礎訓練も必要だが)

7〜8種類ある物事の教えの受け渡し方法の中で、公教育では1〜2種類がメインで使われているのではないだろうか。それだけなのに、やる気を削がれることによって劣等生が生み出されていっているような気がしてならない。

7日に教育評論家の親野氏のこの記事を読んで、う〜むと思った。偶然だが、今我が家も学年またいで学べるオンライン学習のシステムを導入したところである。

基本自分の子どもへの教育がベースになるが、学びというモノ自体を引き続き考えていきます。