昨日三条京阪近くの寺、法林寺のミュージックフェスにちょろっと顔を出してみたら、そこはまるっきり沖縄と化していた。その寺は、知り合いが出店してたから初めて知ったのである。京都って、色んなお寺サンがあるな~8月6日にも平和祈願のイベントをするらしく、大きいタテ看板が掲示されている。

聴衆は知り合い度かなり高そうで身内感満載でしたが、芭蕉布着て三線を演奏をするおじいの唄とか聞けて得をした感じでした。

娘が目ざとく同じ年頃の子どもと仲良くなって思いがけず長居になりましたが、娘が遊んでもらっている子のお母さんと話してみると、なんと福島出身の方。

旦那が京都出身なので引っ越してきたらしいが、地元に戻れ政策が凄いらしい(こっちで生活の基盤できているのに)。私も山の中で育ったので田舎のノリはなんとなくイメージできるが、逆に親戚とかにたまに京都に遊びにきたら・・といっても来ないらしい。

う~ん、放射能の汚染はやっぱり無いことになっているのか。う~ん、薄々やばさは皆気がついているって思うんだよね。

この動かない、学ばない姿勢の大元は無意識下での自由さへの嫉妬心のようなものもあるような感じもするのだが、人間関係をどう構築するかっていうのが移住者としては最大の課題。

なんだかんだ言って、人にとって生活習慣を変えるということが一番難しいことなのかもしれない・・というような気が最近している。

特に自分の親とか見てると。

別に生活スタイル変えたって、何も失うもの無いと思うんですよ。

大概、より楽でお金もかからず、体にも社会にもいい新しいものを提示しても、人はそうそう動かない(笑)。

「いつもと同じ」っていうものの力って、結構強い。

プラスアルファー良く知っている人の強力な「オススメ」がないと、どんなに良いものも皆手にしないものだと思う。

だから社会を変えようと思うのなら、地道~に自分の親とか親戚とか日頃付き合いがある人に対面して働きかけていくしかないんじゃないかって、井戸端会議をして改めて思ったのでした。