敬老の日。だけどそれらしいことは一切しておらず・・実家に電話でもかけようかな。

そして本日から彼岸入りですね。お盆が過ぎたと思ったら、もう?といった感じ。22日は秋分だし、今年もそろそろ前半終了。ここからイロイロ中身を深めていく時期ですな(地球暦で暦考えているから、春分スタートなのです)。

昨日は小学校でやってる祭に夕方から参加しようと思ったら、大雨!
しかも、雷までピカピカし始めて流石に危険だし出かけるのは諦めた。あれで祭りに行った人は居るのだろうか?実は娘は夕方から学童の枠で舞台ステージに上がる筈だったのだが、連絡しようが無く・・学校に電話しても迷惑なのは明白だったし。いきなりサボりになり申し訳ない気分である。

ということで、昨日は超地元なイベントに参加しはぐったのでありました。

先ほどゴミ出しに家の前に出たら、近所のお年寄りがずっと立ち話して居られた。旦那様に先立たれると結構暇なのか、よくそういう光景を目にする。かといって、忙しいお母さんに替わって近所の子どもを見たりするという話は聞かないので、地元意識の非常に強い京都市中とはいえ全体に地域のつながりは弱くなっているのかもしれない。

自分が小学生の時の事を考えると、農場内という非常に囲まれた環境だったからかもしれないが、幼馴染の隣の家(職員官舎だったので長屋状に繋がっていた)のお子さん居られないおばさんのところにも時々上がりこんでいたよな・・と記憶している。

なんだかそういうアジア的「ゾロッとした感じ」が今、無いよね。

一応京都市中は都会だから、元々無いのかな。山間部には未だそういう感じはあるのだろうか?
そういう中で、色んな情報とか話とか、伝わったりやりとりされてたと思うんだけど。子どもって、親だけで育てるもんじゃないって思うんですよ。

ということで、地域の繋がりについて考えるところ多し。隣の人と自然に知り合うって、現代では殆ど無理。そういうのが色んな問題の根本にあるような気がしている。

(写真は全然関係なく、すみれやさんでの小豆鞘むきの会の様子です)