FBで知った、奈良少年刑務所で作家の寮美千子さんが9年間行われた「絵本と詩の教室」の報告本(多分、性教育のあいこ先生のシェア)、「あふれでたのはやさしさだった」。あまりに凄い内容なので、ここに記述しておこうかと。

彼女が奈良少年刑務所と関るきっかけになったのは、そのレンガ造りの美しい建築に心引かれて訪れたことからだったという。
その後、刑務所内で新しい「社会性涵養プログラム」という、刑務所内でも特にコミュニケーションに問題を抱える青年達対象の更生教育がはじめられることになった。そこで行われる三科目のひとつ「詩・言葉」の講師として、作家である彼女に白羽の矢が立ったのである。

驚くべきことに、三科目は月一回ずつの講座で半年の講座だったのにもかかわらず、このプログラムは目覚しい成果を上げた。講師自体が驚くほど、目の前で青年たちが変わっていく。

詳細は本に譲りたいが、ここで行われたのは、「評価をしない」「否定をしない」という「場」の形成。どんなことを詩の中で言っても、または発表しなくても、その場に居ることを認めてもらえる。

彼らが犯罪を犯す前は、先ず間違いなくおぞましい暴力の被害者であった。学校に行かせてもらえない、親自体が居ない、ネグレクト、条件付でないと認めてもらえない、「産まなければ良かった」と子に告げる母。。恐ろしい自己否定から、他人を殺したり性犯罪をおこした彼ら。犯罪は、彼らの歪んだ表現の一つでもあったのではなかろうか。

先ず、「ただそこに居ること」を完全に肯定されることから、「詩のことば」を生み出す「場」が作り出される。
そして参加者の「詩のことば」を場全体で共有するところから、かつて許されざる罪を犯した青年たちが、みるみる変容していく。

「指導など、一切しなかった」と作家の寮氏は本中で述べておられる。

そして、作家であるにも関らず、ここまで「ことば」が力を持つとは思いもしなかった。とも。ひとつの発せられた言葉によって、人は、いつでも違ったあり様に変化していける。

このような「全存在をうけとめる介在者」の一人としての仕事は、なかなか可視化しにくいし、その価値を社会的に認められにくい。しかし、今の教育に大きく欠け、必要とされる分野。そこにスポットライトをあてたこの本、本当に貴重である。

そして、子どもにとっての母親の存在の大きさもこれほどまでとは。たくさんの子ども達が、母親の笑顔を見たくて、涙ぐましい奮闘をしている。。それが、犯罪という形になってしまったとしても。大元は、愛されたいし愛したいという根源的なものから起こっているのだ。