勝手な感想。ここ数ヶ月、いろんな物事の展開のスピードが加速しているような気がする。ここ5~6年間に水面下で目まぐるしく動いていたことが、ぶわっと表面化してきたというか。

大きな時代の転換点であることを、沢山の人が気がつき始めて一斉に動き出した気配。今社会のプラットフォームとシステムが、もう全く違うフェーズに入って来たね。もう、これは間違いない。

今感じて居るのは、日本でそんなに無理して「民主主義」を模索せんでもええんちゃう?っていうこと。Newspicksで落合サンが言っていたからっていうわけじゃないが、我々は今までも、そして 多分 これからもムラ社会。せいぜい藩レベルの大きさの地域しかイメージ出来ないのかも。大局の政治を語るより、おらが村をどうするかの寄り合いを各地域で確立していったほうが、全体のバランスが自然に整っていくんじゃないかなっていう感じがするのだ。

記述が遅くなったが、先週に行われた草の根プロジェクトさんのArts & Crafts + Politics 〜お父さんの話を聞く時間〜 に行ったのだが、大変面白かった。

ズバリ!今揺れ動いている小学校教育とPTAをテーマにしたトークだったのだが、左京区のとある小学校で行われている教育実践とかの例(アクティブラーニングの一種になるのかな?子どもたち主導でのグループディスカッション)の話が面白かった。やれば出来ちゃった例は、行き詰まりの打開を予感させますよね。

丁度育休中の教員の方が参加して居られたので、会の後にもお話させていただいたのであるが、感じたことがあり。今の教育の現場での問題はいろいろあるが、親達の話を聞く機会を作る時間自体を作れないほど 教員達が 忙しすぎる、新しい教育実践をやってみたくても上(校長や教育委員会)が本質を理解してくれるか疑問、、などなど。

これって、何の業界にも言えている事じゃないかな。

同じ問題にタグ組まないといけない「それぞれの立場」の人が 、なんか良く分からんことで忙しくなってて、まず、話する場所すら無い。

今日も、ちらっと草の根の寄り合いに顔出したのであるが。中年世代が最初から、「どうせ政治に何言っても無理」っていう認識なんですよ。これが共通認識?っていうぐらい。

ん?まてよって、思うんですよね。

いやいや、まず言うことさえ、してないし~

って感じ。

どうせ分からんし、やれんし任せた、って言ったって、どこに?

ですな。やるまえに諦めている。

これって、何なんや?

と思ったら。

・・・これって、小学校時代の教育の問題ちゃうのん。意見したらあかん、という教育が、中年世代に根強く浸透しておりますよ。

って私は思うんですよね。

多分、今後どうなりたいのか考える、っていうのが大きく欠けているのだよ。そして、どういう風に行動して、意見をまとめ、行動すればいいのか。全く知らん。

どうせ今後変わらざるを得ないんだから、どうしたいか具体的に考えようや。

っていうフェーズが今。 と思うんだよね。

我々は意見が合わない人とのコミュニケーション仕方自体を、学ぶところに来てるんじゃないかな。何故か隣に住んでる人とすら、今後の社会の話(政治)がしにくい今・・これって何なんだろう。

私が草の根プロジェクトの動きに注目しているのは、その「場」自体を作り出そうとしているからなんですわ。肩書きが「普通の人」の井崎敦子さんの最大の強みは、「ジャッジしない」というところにあるような気がしている。いろんな政治的見解の人が同じ場に居られる「場」を、作り出せそうな感じがしているのですよ。居そうで居ないキャラ。あくまで予感、のレベルだけど。

なんか、コミュニティ構築の今後の動きは、そんなに高尚じゃなくていいんじゃないかな、って思うんだよね。毎日の生活のことに直結する事について、皆が納得する「解」を考える。顔が見える人の中で同意できればいいんだから。