よく覚えていないが、10年ぐらい前に「発達障害」というワードがちまたに流行したね。一般にそういうものがあるらしい、というだけでスルーしてた私。たまたまその頃アスペルガーの友人とガッツリ3年ほど組んで作品制作をしてたので、その極端さは実地に知っていたが(つきあうの凄い大変です)。

どうもウチの娘もカテゴライズするなら、軽度学習障害といえるようだ(発達障害の一つ)。言語習得に難アリ(促音の習得ができていなかった)で学校の補習に任せていたものの、殆ど改善していないのが発覚。駄目だわ、学校任せでは。ということでいろいろやって三箇月であるが、大分とり返したね。やってはみるもんです。

私はたまたま雪柳庵パートナーの板倉がその分野(教育)に凄い詳しかったので救われたが、子どもの学習について「ココは押えておけ」というポイントって、今は見えにくいですね。

グーグル先生に「発達障害」って聞いてみると、自閉症系・多動系(ADHA)・学習障害(LD)と三つの大枠があるらしいと教えてくれる。が、実際のところこの中の二つ・三つが重なってる場合もあるし、 正確な診断は専門医でないと難しいらしい。

そして学派?によって発達障害についてのカテゴライズも変わるらしい・・とか知ると、膨大な情報にアクセスしないといけないのか?と茫洋とする。

で、リアル子育て中の親としては、正確に「発達障害とは」に詳しい人になるより、ザックリどんなものがあるのか?が分かればいいかと。 別に学者になりたいわけでもないし。 そのレベルになりますが、ちょっと整理してここでも記述しようとしています。

子どもの学習の習得は、やっぱり段階があるらしいですよ。
成長の段階というか、それを飛び越えて次にはいけない。という内容があるんだな~ この事が、いろいろ調べると見えてくる。
以前にも書いたが、よく言う「10歳の壁」という区切り。所謂思春期前期の時期だと思うが、その前とその後で子どもへの接し方は変えないといけない。

「子育てにおいて今のタイミングで押えておかんとヤバイところは何か」の知識のほうが必要だな~ と思う。

そこを、雪柳庵のプロジェクトでやります。

「発達障害」の子に必要なことは、ズバリ、今までの学校とは「違う学び方」を提供するっていうことですわ。

これだけ学習障害がクローズアップされているのは、ますます画一的になってる公教育のやり方が、あちこち実質機能しなくなっているということでもあると思う。社会が急速に変化しているのに、これから必要とされる「自分から模索する人間」を育てるフォーマットになって無い。

よく「多様性を認める社会を」というが、その目標を掲げても、実際に「多様なありかたが当たり前の場を作る視点での教育」がなされていなければ、そういう風にはならないと思う。

問題が目の前にあっても「疑問視」出来ない人が教育をやっても、なにが問題なのか分からんと思う。

語られるものが「本当らしい言葉」だけでは駄目だと思うのだが、皆さんは如何考えるでしょうか?