運命論的な事ではなく、身体技法についての話題である。

何とか時間をやりくりして、月に2回は稽古場に通えるようにしたいものだ・・と最近は考えて居るのであるが、とつい先日行った内容について書く、ということに挑戦してみたい。ダブルで修行ですな(私的にはブログは文章の素振り)。

先週土曜、初めて自主企画公開講座という形で行った「子ども稽古」(と師匠は呼んでいる)のテーマは「動法」。
これの入門編の稽古に通い始めております。企画者としては、自分もある程度は出来るようにならんと、・・とは流石に思うので。

この「動法」の説明・・(汗)。師匠に聞いてください、と説明を譲りたいところではあるがそういう訳にもいかないので教科書的に書くと、日本の伝統的な身体技法。身体の動かし方、重心の取り方・・などですね。

戦後、椅子と机の生活がスタンダードになって、日本人の身体の使い方は混乱を極めていると思う。長い間、着物を着て畳や板間で腰を屈めて作業。がスタンダードだった民族が、急に油っぽいもの食べて洋服着て靴履いて生活するようになったのである。普段要求される動き自体がガラリとここ数十年で変わればそりゃ、あちこち調子も悪くなるわな。

私自身はといえば、どういう姿勢が良い姿勢・・というか、あるべき姿勢なのか、もうよく分からない感じ(涙)。細かい目を使う作業が多いせいか、集中して作業→気がついたら体中の入れすぎた力を抜けない状態。となっているようである。

さて、これはよく巷に言われる「偏り疲労」なのか・・と思っていたのであるが。

師匠目の前にして、さて稽古。

・・・今日は手の問題をやってみましょうか。先ずはリハビリ的なところから。

ということで、手の「型」を取る事を学ぶ。前日立ち上がれず引っくり返っていたのは、見破られてます(半日倒れてた)。

・・ま、試しに手の指自由に動かしてみて。

とやってみるものの、動き悪いですな。ではと、言われるまま先ずは手のひらを広げてみると、あら、全然広がりませんな・・親指と小指、180度ぐらい広がらないと。ということで、合谷からトックリと、間をつまんで抜いていかれることに。

そりゃ、痛いですわ。しかし妙に笑える。

お。全部やると多少であるが、ちょっと(手の広がり具合)ましになってるよ。
ということで、ここから半月の型の稽古。

偏り疲労というより、手を全部使い切れてないということなのかもね。

・・という話が、妙に腑に落ちる。

型が出来ているかどうかは、誰かに触れてみると相手側には良くわかる。意志の力で物を掴む形と、物に引き寄せられる形での掴み方では天と地ほどの違いがある。

一般的には身体の使い方ってこういう「意志の力」で使うという考え方一辺倒のような気がする。なぜだろう?

しかし、稽古場に来たら間逆。とにかく、意志の力は抜け、と。

前に公開講話でダン先生が箸の持ち方の例えで説明していたような気がするが、二本の棒は常に横から抜ける状態。がっしりと掴むと上手に物は掴めない。日本的な身体感覚・物の扱い方というのは相手を拘束しないのだ。

傍から見たら、稽古中の会話は何話しているか訳分からんであろう。毎回こんな感じで、話だけ聞けば空を掴むようなことをやってるわけです。

終始笑顔の二人・・いや、毎回笑いながら稽古してるの、私くらいかもしれないけど。