3月11日が来た。

2011年から、日本人にとって今日は特別な日になった。

震災・原発事故から5年。
あれから、何が変わって、何が変わっていないのだろうか。

5年前の地震が起きた時、私は東京の地下鉄・銀座線の車中に1歳3箇月の娘といた。だから地震の真っ只中に居たにもかかわらず、皆さんがいう「あの揺れ」を体験していないのだ。

訳も分からず徐行運転で辿り着いた上野駅で降ろされ、直ちに東京一円地下鉄全線は閉鎖されます、地上に出てください・・とだけ案内された。地上に出て初めて余震の震度4くらいを体験したのだが、ぽか~ん。という感じ。何が起こったのか良く分からなかった。店も地震の直後は皆さん通常営業していた。

なんだか、とんでもない事がおこったらしい。

よく分からんが、とにかく今までとは違う、パカッと閉ざされていたものが開いた感覚。

とりあえず、家に帰ろう・・とぼんやり思い、上野駅から浅草に向かってベビーカーを押す私。そこから家に辿り着くまでが大変だったのだが、それについては割愛する。
3月11日の午後、ぼんやり妙に薄暗い合羽橋道具街アーケードのショーウィンドウのTVのニュースが津波警報を赤黒くの映し出していたのだけが妙に記憶に残っている。

今から思えば、いずれ分かってしまう予定だったあらゆる世の中の矛盾が、明るみに出るきっかけが震災であったのだと思う。
地震は勿論天災である、そしてそれをきっかけに、どのように生きて来たかはそれぞれの人生・・私は、ずっと誤魔化してきた自分の人生を生きるということを、脇に置くわけにはいかなくなった。

昨日、初めてzisoku.comとしてのイベントの主催をさせていただいたが、おそらくこれがこれからの私のメインの仕事になる予感が強烈にしているところである。