久々の投稿。週末は、楽西自然農園の子どもの集まり「モリノコ」に行ったり、アーティストレジデンス事業を行っているアニュアルギャラリーさん企画の「西陣ツアー」に参加させていただいたり(写真は、モリノコでのもの)。昨日はやっと、味噌仕込。

それなりに知り合い力発揮して、時々京都のコアなところ (?) に潜り込んでます(笑)。

丁度先週末、娘が小学校で「おじいちゃんおばあちゃんに、昔の子どもの頃のこと聞いてきて」という宿題貰ってきたんですわ。

今私の両親は益子に居るので(元々栃木県人)、昨日電話で取材。およそ6~70年前の鹿沼市の話は面白かった。まだご飯は竈で炊いていた時代。水は井戸からくみ上げ、洗濯物のすすぎは家の裏の小川でやっていた。たらいで洗ってたから、洗濯の家事労働の時間は長かった。

道は狭く商店が連なっていて、親は殆どが商売人。大人たちが商売に明け暮れる中、子どもたちは集団で遊び、大きい子が小さい子の面倒を見ていた。まだTVが無い時代である。今70歳半ばの母が中学校に入った頃から電化しはじめ、急速に生活様式が変化してきたのだ。。

多分、今社会の政治的な決定権を持っている人達のベースにある、地域社会とはこういうもんだという「感覚」は、この時代の共有している感じが大元にあるのではないだろうか。 しかし実質、今や住んでいる場所を中心に広がる地域社会なんてありはしない。

決して昔が良かったとは思わないのであるが、昔は大人たちの日々のやりとりの中に子どもたちの生活があって、特別に学ばなくても沢山のものを吸収できる環境にあったと思う。

今やここが分断されていて、親がよっぽど意識しないと、ものが生み出される現場を生活の周辺で子どもに見せることは難しい。何でもパッケージ化されていて、欲しいと思うモノはお金を出して買うもの、ということになっているからだ。

最近思うんだけど、これって決して豊かでもないし便利でもないな。。

そして恐ろしい程、あらゆるものが薄っぺらくなっている。自分達を支えてくれているバックボーンとの繋がりが、希薄だからではないだろうか。

311で原子力発電所が爆発して、もう社会自体のシステムを変えないと今後全体が回らんのが明らかなのに、日本は具体的に何もスタート出来ていないのは何故なのか?

ここんところが、かなりモヤモヤしてるんですわ。

未だ、現状の何が問題なのか?すら分かっていない人との対話を、どっから始めたらいいのか。という論調も違うような気も、ちょっとし始めている。多分、よくある対立の構図はこれからのやり方としては違うのだ。

「肝心な何かが、見通せて無いな~~」 という感覚が、ずっと私の中で続いている。

私自身としては、今、いろんなパズルのピースがバラバラで、まだ取り掛かれないという感じ。(うん、わかる人にしか分からん書き方で申し訳ない)

先日、FBで見つけた記事が面白かったので、ここでもシェアしておきたい。

捨てない・働かない・旅するパン屋は愛溢れる自然体 夫婦で年商2500万円 薪の石釜で焼く国産小麦パン


これを読むと、なんか分からん呪縛が、日本全体にかかっているような気がしてならない。心理的な壁、というようなもの。たぶん答えは目の前に転がっているが、見えてないだけなんだろう、っておもうのだ。